Vol.96

こそあど

同級生3人で、お昼を食べた。
近場のファミレスでメニューを開くが、手を伸ばして持つメニューがみんな遠い。
おまけに眉間にシワ寄せて、目を細めてる。

私は、バッグをごそごそ。
携帯用の老眼鏡、いやお手元グラス、もっとカッコよく言えばリーディンググラスを取り出して、おもむろに掛ける。

「いやあだあ〜、老眼鏡?」
「ん〜だって、小さい字が見えないンだもん。」

代表して、私がメニューの詳しいトコを読んであげる。
やっぱみんな見えて無いンじゃん?

近眼の友人は、眼鏡を外せばよく見えるとか。
その方が、楽に調節できていいかもねぇ。
近眼だったほうが、老眼になるのも遅いから、勉強しなかった私は?いち早く老眼が進んでる。

ドリンクバーに行き、紅茶の茶葉をポットに入れる。
横にある機械からお湯を注ぐのだが、お湯のボタンを押しても出てこない。
友人が代わりに押しても出てこない。
もう一回押してみても何回押してみてもず〜っと押してても、何も出てこない。

きっと、カラになってンだね〜。
すいませ〜〜ん!

忙しく動き回ってたウェイターさんが駆けつけてくれて、スッとボタンを押したら、お湯がジャ〜〜!

!?なんでえ!?

試しに押すと、ジャ〜。

こんな簡単なことも出来ないなんて、なんだか私たちって、バカみたいじゃない?
少々気落ちして、トボトボ、席に戻る。

運ばれてきたランチを食べながら、取りとめの無い話をするのだが、昔のようにトントンと早口に話が弾まない。
言葉がスムーズに出てこないのだ。

これのほらあれ、なんだっけ〜?
う〜ん何て言ったっけ〜、名前が思い出せない。
ほらほらなんだっけ、あ〜ン気持ちが悪いっ。

・・でさ、・・・。いいや、忘れちゃった。
え〜、その続きを聞きたかったのにィ。
う〜ん、だって思い出せないンだもん。

ほらあの人なんていったっけ、顔は浮かんでるンだけどさ。
あれに出てた人、何て言ったっけ、ほらあれよあれ。映画でさ。
え〜なにそれ?どんな映画?

映画なんて、ずいぶん観に行ってないからなぁ〜。
私だってビデオで観たンだよぉ。
あ〜ン、題名が思い出せない〜。
ああ〜ン、ストーリーすらも分からない〜っ。

会話全てがこの調子で、出てこないのだ。
同級生同士だってこうなのだから、これがもっと年長者との会話だと、さらにもっと難解だ。

お互いどう頑張ったって名詞は浮かばず、身振り手振りに擬音の連発、挙句の果てには紙とペンまで引っ張り出して、なんとか伝えようと、お絵かきまでが始まるのだ。

それもつたない絵だから、指差し説明、実物大だとか、もっと大きいとか丸いとか透明だとか。
とてもオトナの会話とは思えないような、幼稚な言葉だけがドンドン並ぶ。
唸ってる時間の方が長く、飛び出る言葉も的確さに欠ける。

それでもなんとか話が通じればまだマシ。
ホントに通じたのか不安を残したまま、描いた絵をぼんやり眺め、会話が終わってしまったりもするのである。

まったくもって、こそあど言葉が母国語の中高年、これじゃ脳ミソ、萎縮してるょなぁ〜。

言葉が無くても通じる仲だと言えばそうかもしれないけれど、アナウンサーのようにテキパキと豊富なボキャブラリーを駆使し、美しい日本語で表現してみたいこの気持ち。

この秋は、リーディンググラス掛けて読書して、少しは文学的表現なんぞ身につけてみようかと。
ちょっぴりそんな気を起こしてはみても、本の上にボールを乗せてくるアレックスが居る限り、私の語彙は広がらないのだ。。。ということにしておこう〜〜っ。

「最近、なあんにもしないのにシワが無くなったのよぉ。」
と言う友人がいた。

「それは違うンじゃないかな。
“シワが無くなった”ンじゃなくて、“シワが見えなくなった”が正しいンだと思うよぉ。」
「え〜!そうなのぉ〜!?それってすっごくショックなンだけどぉ。」

老眼鏡を掛けてては、化粧ができない。
でも掛けないと、良く見えない。
適当に長年の勘でやっとくとするか?
どーせ仲間も老眼だから、人の顔なんてはっきり見えてないンだし!

でもね、若い人もいるこの世の中の為に、私、ハンズに行って探しました、5倍鏡。
売り場で初めて見たその鏡に映ったモノは、そりゃもうオドロキで、おぞましくって、おっそろしくって、正視に堪えられないシロモノで。
小皺、大皺、ちりめん皺、たるみ、シミシミ、毛穴から産毛までもが、みんなみんなコンニチハ〜♪ず〜っとここに居たのよ〜だもの。

このおぞましいモノも、目をそらしてはいけない現実なのだ!。
知らなかった世界、見えなかった欠点をしっかり知るって大事なコトなのね。
5倍鏡と老眼鏡は、いい加減に生きてる私の、唯一の・・・・アレだな〜。
ほら、ナンだからさぁ。。。やっぱこれだわょ〜。