私の祖母の弟、つまり大叔父さんは、その昔、横浜からアメリカへ渡ってアメリカ人になった。
それも山下公園の、「あの氷川丸!」に乗って、イチローが活躍する、「あのシアトル!」へ行ったのだった。
私が中学生だったある日、家へ帰ったらお客さんの靴があった。
「外人さんが来てるよ。アメリカ人だよ。行ってごらん。」
習い始めた英語が使えるチャンスか!?
恐る恐る覗くと、そこには普通のおばあちゃんが座っていた。
大叔父さんの奥さんで、見た目はまるっきり日本人、でも着ている服や話す言葉、どこか異国情緒が香ってた。
そこで初めて、ウチにはアメリカ人の親戚がいることを知った。
高校三年の夏休み、私は一応大学受験を目指して、予備校の夏の講習を申し込んだ。
その頃、アメリカから祖母にエアメールが届いた。
大叔父さんが病気で、もう危ないらしい。
その知らせを聞いて、87才の祖母は、キッパリ言った。
「弟に会いたい。アメリカに行く。」
たぶん、何十年も会っていない弟との、最後の別れになるだろう。
そしてコレは祖母が決意した、初めての海外旅行である。
当時87才とは言えとても元気だった祖母、肉が大好きだし、新聞は毎日かかさず読んでいた。
しかし、彼女の筆跡、それは少々の漢字とカタカナしか見たことがなかった。
英語なんて読むことも書く事も、まして、しゃべることができるとは思えない。
それでもパスポートを申請し、祖母はサインを練習して書き込んだ。
そして祖母は得意になって喜んだ。
英語が書けたと。
同行者に白羽の矢が立ったのは、私だった。
気分は受験生だったのに、夏期講習へ出たのはたったの2日間。
いいのか?こんなことで・・・!?
「だって、他に海外へ行ったことある人間がいないンだもの。」
確かに、私は高校の研修旅行でアメリカへ行った。
ヨソイキの洋服を着て、足袋ックスに草履を履いた祖母の手をひき、受験生の夏、私はシアトルへ向かった。
病院のベッドに横たわった大叔父さんと、はるばる日本からやってきた87才の祖母は、手を握り合って涙の再会を果たした。
大叔父さんは、若い頃アメリカに渡って以来、長いことシアトルの日本人街で暮して来た。
その頃、英語教育があったとも思えないけど、彼ら日系一世は、現地調達であろう素晴らしい英語を話していた。
「掘った芋いぢるな」系の英語である。
流暢とも言えない、漢字で書きたくなるような英語だけれど、これが実にお見事、カンペキに通じるのである。
「日本語の読み書きは、もうほとんど忘れちゃってうまくできないから、手紙は英語の方が分かり易いよ。」
大叔父さんにそう言われ、「英文手紙の書き方」を片手に、必死に書いたことを覚えてる。
それでも大叔父さんは、大戦中、敵国人として長いこと外国人収容所に入れられたそうだ。
アメリカ人でありながら、日本人。
彼ら日系一世たちが心に秘めた、生まれ故郷・日本への望郷の念は想像以上に強かった。
1ヶ月以上も前の日本の新聞や雑誌を、みんなで大事に読んで喜んでいた。
「日本から来たンだって?今の日本は、どうなんだい?」と、みんなに囲まれ、顔を覗き込まれんばかりに聞かれた。
当時は、今のようにインターネットなんて無かったし、情報も少なかった。
1$360円時代で、日本から持ち出せる金額も少なく、海外へ行くことは、とてもオオゴトだった。
祖母と数日間、病院へ通った頃、病院のスタッフが、私にそっと耳打ちして尋ねた。
「いつ、日本に帰る予定か?」
その予定から逆算して合わせるように、大叔父さんは息を引き取った。
「注射するンだよね。」
亡くなった知らせを受け、大叔父さんの家族は呟いた。
当時から、アメリカでは安楽死があったようだ。
草履を履いた祖母と、賛美歌が流れる教会で、あまり湿っぽくない葬儀に参列した。
ドラキュラが寝るような立派な棺に、溢れんばかりの花と一緒に納まった大叔父さん。
長〜いでっか〜いアメ車のリムジンで棺を運び、アメリカ式の墓地に埋葬した。
そして大叔父さんは、異国の地で長い眠りについた。
当時、日本の情報がアメリカに届きにくいのと同じように、アメリカの物品も、今ほど簡単に日本に届かなかったし、安く手に入らなかった。
舶来品と呼ぶに相応しいアメリカの物は、海外みやげとして貴重だった。
大叔父さんの最後に会うために行ったアメリカだったけど、クロスのボールペン、可愛い便箋、ベッドシーツ、タオルと、アメリカっぽい物をおみやげに買い込んで帰国した。
そしてアメリカの香りを感じながら、大事に使ったのだった。
今月始め、アメリカのスーパー、COSTCOが幸浦にオープンした。
昔よりはるかにアメリカ物が手に入りやすい現代、またどんな違った魅力があるのか興味津々♪
早速、会員になって行ってみる。
働くスタッフも、来ているお客さん達も、いろんな人種がいてどことなくアメリカっぽい雰囲気。
そしてそこは、ガリバー旅行記かと錯覚するほど、デカイ・広い・量が多い、巨人の国だった。
大きなカートにぶら下がりながら押す私は、迷い込んだ小人かティンカーベルな妖精か!?
アメリカっぽい商品の、すべての大きさに驚き、圧倒されつつも笑っちゃうのだった。
「きゃぁ〜、何!?すごい量!」
「うわ、でっか〜い。ど〜すんの!?こんなの買って!」
「アメリカ人の消費量ってコレくらいが普通なンだろ〜か?」
呆れるお客さんの呟きを、何度も背中に聞いた。
食べきれない12個のボリュームたっぷり、大雑把な味のマフィン!
毎日腕が鍛えられそうな、ガロンで大量、アメリカンな香りの柔軟剤!
全部いっぺんに作って、部屋中ポップコーンの海にして泳いでみたい衝動に駆られるポップコーンの粒・特大容器入り!
つい買ってしまったこれらの品々を眺めながら、ふと思った。
コレらを食べきって使いこなしてクリアーできれば、なれるのか?アメリカ〜ン!?