Vol.49

Happy Birthday

今日は私の誕生日だい!
本来、誕生日というのは、母親に「産んでくれて有難う!」と感謝するものらしい。
いやあ、感謝っ、感謝っっ!

一年365日あるなかで、たった一日の誕生日。
自分と同じ誕生日の人とは、なかなかそう出会えるモンじゃあない。

ところが私は、なんと、たった一人っきりの兄と同じ誕生日だったのだ!
それもなんと、ぴったし10年違いで!!

10才の誕生日の朝、兄は生まれたばかりの妹の顔を見て、「オレにもやっと運が向いてきた!」と喜んで学校へ行ったそうだ。

兄は生まれてすぐ両親が離婚し、母方の祖父母に家の跡取りとして育てられた。
そして母は再婚し私が生まれた。

私の父は、兄妹で苗字が違っては可哀想だと、母の苗字を名乗った。
父も一人息子だったが、もう両親も亡くなった自分の家を守るより、これから生きていく子供達を大事にしたいと考えた。

そして父は、38才という若さで、胃癌で亡くなった。
兄は火葬場で、父の写真の前に立ちつくし、泣いていた。
兄にとっても父親は、その父、一人っきりだった。

兄は高校3年の頃、自分の体の不調を感じ始めていた。
それまで、走ったら誰にも負けたことがなかった自信の足が、だんだん普通の人並みになっていった。

病院で調べて貰った結果は、筋ジストロフィー。
足の筋肉が無くなっていき、病気の進行とともに体全体の筋肉も失われていく、まだ治療方法が分からない不治の病だ。
そして18才で兄は、あと数年の命と宣告された。

それでも兄は猛勉強して、難関の大学へ入った。
やがて病気は進行して通学も困難になり、大学を断念。
家から病院のリハビリに通いながら、家業を継いだ。

西洋医学では治せない病気だから、兄は自分で勉強していろんな民間療法を試した。
自分なりに考えた運動を欠かさず続け、体に良いと言われる事は取り入れ、数年と言われた命を伸ばし続けた。

それでもやがて寝たきりになって、人工呼吸器の世話になる日が確実にやって来る。
自発呼吸する肺の筋肉も無くなるからだ。
末期になったら、病院で寝たきりの生活が何年続くか分からない。
そうなったら、文字通り、お金が無くては生きられない。

兄はそれこそ一生懸命に仕事をした。
祖父母から受け継いだ家業を大きくし、趣味も遊びも休みも無く、盆も正月も毎日働き続けた。
ホントにまったく、とんでもなく真面目でカタブツな人だった。

体が動かない身体障害者の人は、口に絵筆を銜えて絵を描くと、評判になる。
でも仕事をしたといっても、5へぇ〜くらいである。

体の筋肉はどんどん無くなり、起きているのがやっとという状態になって数年。
沢山のヘルパーさんたちに支えられて、それでも家で仕事を続けていた。
それを介助し続けた母は、甲状腺の癌になった。
手術で危なくなった命をなんとかとり止め、それからも二人は支えあって生きていた。

「この病気が治った人はまだいない。オレは筋ジスから生還した初めての人になってみせる。」

5年前のある晩、兄の心臓と肺の筋肉は力尽き、突然、呼吸が止まった。
意識が無くなり昏睡状態が続く中、兄が私の夢に現れた。

「オレ、今までホントに頑張ってきたけど、もうダメみたいだよ。」

数日後、兄は亡くなった。

兄が亡くなり、数ヶ月後、母の具合が悪くなった。

「私が死ぬ時は、手を握っていてね。」

母は若い頃、そう言っていた。
約束は果たせた。
でも意識が戻らないままの別れになったから、母にはそれが分かったンだろうか。

母の枕元の窓の外、真っ青な夏の空に真っ白な雲が流れていくのを眺めていた。
雲の合間から、兄がひょっこり顔を出しそうな気がして、きっと母を迎えに来ているンだと思った。

兄は、母に産んでもらった事を感謝しただろうか。
Happy Birthday to you and me.