Vol.9

ヨコハマの昔を思う日

今日は、ご先祖様の命日だ。

「お墓参り行くぞ〜!」思い立ったらスグ行ける距離の日野公園墓地。

ここには、あの美空ひばりさんも眠っている。亡くなった当時、ファンのおばさま達に混じって、野次馬根性で見に行った。

調べた事はないけれど、かなり広い公園墓地だし歴史もありそうだから、そりゃあ他にもたっくさんの有名人が眠っていらっしゃる事だと思う。

名家の昔のお墓はどれも立派である。手入れの行き届いた生垣が植えられ、石のベンチが置かれ、門まで付いていたりする。ちょっとしたお家みたい。大っきな墓石に陸軍大将とか、由緒正しゲな家名が書かれてあったり、世が世ならお殿様だったりするのかなという戒名。それぞれの個性があって生前が偲ばれる。十字架が刻んであったり、鳥居つきといろんな形もあるし、広さもいろいろある。異国で眠る外人さんのお墓も結構ある。まとまりがナイっちゃあナイが、生きてた時は十人十色と思えば、眺めながら歩くのも、なかなか興味深いものがある。

最近造られている新しい霊園は、みんな同じ形の墓石で区画整理されてるみたいだから、通りの番号を間違えると迷っちゃうんじゃないかと思う。亡くなってしまえば、みな平等と言われればそれもそうかとも思う。

昨今の墓地不足から、マンションみたいなロッカータイプの墓地や、お墓を守る後継者のいない人向けのモニュメント式・合同墓地など、ここでも新しいスタイルのお墓が作られている。これも、もちろん見学済み。そりゃ何でも見ておかないと・・・。

さて、ご先祖さまのお墓をひとしきり掃除して、取り出だしたる般若心経・ふり仮名つき。周りに参拝してる人がいないのをいいことに、門前の小僧はシミジミと自信たっぷりにお経を唱え、心を込めてお祈りしてきたのでした。もちろん臨機応変なカソリック幼稚園出身者もご一緒に♪

「オレの葬式には、仲間にはラグビージャージで来るように言ってくれナ。もちろんオレにも栄光の背番号10番を着せてくれ。」「で、ヤカンの魔法の水、掛けるか?しっかりしろって。」「お棺から立たせて順番にタックルだ。」「出棺の際には、やっぱノーサイドの長い笛だな。」

そして夜は年に一度集まる仲間の飲み会。

大人になってからできた友達というのも、オツなもんで、飽きもせず仲が良い。

かれこれ10年位のつきあいだが、毎年この時期集まる事にしている。職業、年齢ともにバラバラの男性4人女性4人の計8人で、一人の欠席もなく続いている。アタマが薄くなっただの、シワが増えただのと平気で言い合い、遠慮というものはまるでない。欠席するとナニ言われてるか!?それが怖くて集まりが良いのかもしれない。でもホントはこれでも友情が深いのだ。相談事も話すし、互いを本気で心配しあってる。

おじさん4人は、お酒飲んだ後は、歌うかジャラジャラと中国文化の研究になるけれど、おばさん4人は、無制限一本勝負なら場所を選ばず、朝まででも平気で、しゃべっていられる。カラオケBOXで一曲も歌わずに、しゃべり倒した事もあるツワモノである。誰も呼ばぬが四人娘の会と勝手に名のり、これでしょっちゅう集まっては、しゃべってる。8人でどっか旅行でも行こうかと、毎回、話だけは出るが、どうせどこへいっても、酔っ払ってるのと、しゃべりっぱなしなのは同じである。

去年は上大岡の料亭へ行って、そのあとゲイ・バー初体験した。目が点状態だったが、ものすごくおもしろかった。ゲイのママの事が3日間は頭から離れず、普段、銀行とかでも「やっだ〜ン、融資して〜ン♪ゆうしィゆうしィ!」なんて言ってるのかとか想像してしまった。んなワケないか。

今年は、なぜか生麦。早口言葉をつい言いたくなるけど、ここは生麦事件が起こった場所。井土ヶ谷にも同じような事があったそうで、石碑が建ってる。

お侍さんの行列の前を外人さんが横切ったとか、馬を降りなかったとかで、無礼者〜!と斬り捨てられたという実話。港町ヨコハマらしい事件である。四人娘も話に夢中で斬り捨てられる可能性は大。

歌会、しゃべり会はあっても、飲み会と言うものは年に1〜2度しかないので、レパートリー不足な私だが、どうも珍しい店らしい。

まず、狭い。ガラガラッと引き戸を開けるといきなり人の背中に遭遇する。カウンター席で、立ち飲み状態。7時にならないと座っちゃいけないそうだ。7時を過ぎると勝手にイスを出して座るらしい。新たに人が入ってくると、みんな嫌な顔ひとつせず、条件反射のごとくカウンターに覆い被さるようにして通り道を開けてくれる。すいませんを大連発しながらすり抜けるようにして2階へ。かなり年季の入ったタタミ部屋に、厚さ1.5センチほどのみごとな薄焼きせんべい座布団が並んでる。ガラス窓の外は、道を挟んで遊郭のような木製の手すり付き二階家で、ここと同じような感じ。まっ赤なネオンが曇りガラスに写ってる。

どでかい土鍋には既にぎっしりと鶏肉や魚や野菜の具が入って汁の余地もないほどで、ぐつぐつと煮えていた。まず乾杯にビール5本ね!と酒飲みの注文。そんなに乾杯すんのか?とにかく下の野菜を食べないと、上に乗ってる魚が煮えないよ〜と皆で発掘調査が始まる。

つづいてお燗を注文。これがオドロキの一升瓶まるごと!お猪口なしのコップ酒。ビールを空けないとお酒は注げない。

刺身は皿のふちが見えないほど溢れんばかりに盛られているし、生牡蠣も大皿にゴロゴロンと無造作に転がってる。天婦羅も寒がりなのか具が何だかわからないくらいの厚着でボリューム有り・なぜかオコゲ付きで山盛り。そして負けず劣らずの大根おろしドド〜ン。洒落た盛り付けという言葉は、この店には似合わない。

取り皿をリクエストすると、もちろん「ないんです。」と言われる。始めにお膳に置かれていた物だけでやりくりする。お酒に弱い私は、あったかいお茶を頼むと「ないんです。冷たいウーロン茶ならあるけど、外で買って来ましょうか?」じゃあ冷たいのをあっためてと頼む。おもしろい。ポットで出てきた。後で冷たいのも頼むとペットボトルをほいッと渡された。

さんざん飲んで食べてしゃべったが、大皿にはまだ刺身も沢山残ってる。もったいない、貰って帰ろう、猫よろこぶし。おにいさ〜ん、持ち帰る容器ちょうだ〜い。出てきたのはスーパーで魚が乗ってたと思われるトレー・水滴付き&サランラップ。うん、そうだろう、そうでなくっちゃね!楽しい。

連れて行ってくれる人がいないと、行かれない店であることに間違いない。常連さんで大盛り上がりのカウンター・1階席だもの。

子供の頃、昭和の下町はこんな感じだったな〜。木の電信柱と言えばそばには野良犬がいて、コンクリートのゴミ箱には木のフタが付いていたんだっけ?何度もペンキを塗り足してデコボコになったあの赤い円柱ポスト。いつも駈け廻ってて、しょっちゅう転んでたから、ヒザは赤チンだらけだった。三輪のトラックが走ってた。牛乳屋さんのフルーツ牛乳が好きだった。そんな楽しい時代にタイムスリップしたような、貴重でおもしろい町、生麦だった。