Vol.86

雪山・挑戦・神のいる山(後編)

 八甲田山は映画にもなったくらい積雪が多く、気象変化の激しい山。
慣れた人でも迷うから、スキーコース以外へ単独で入山しちゃあ、いけないらしい。

だから山のベテラン・ガイドさん達が道案内してくれて、前後を一緒に滑ってくれるのだ。
彼らは山を知り尽くしていて、ピンポイントの正確さで連れ帰ってくれるそうだ。
迷える子羊をまとめる、優秀な牧羊犬シェパードっていったトコかもしれない。

山スキーは下るだけじゃなくって、平らなトコもあるし、登りもある。
飲み物、かんじき、ストックを詰めたリュックを各自で背負っていく。
発信機らしき物も、ベルトのようにお腹に着けていく。
もちろんガイドさんたちも、お助けグッズでリュックにパンパンに膨らませている。

10名ちょっとの参加者は、みんな上級クラスの上手な人たち。
気温が上がってきて雪が重たくなってるそうで、引っかかりやすく滑りにくい雪なのだそうだ。
あまり上手じゃない人達は、午前のツアーだけで午後は止めたらしい。こりゃマズイ。
確かに山頂はパウダーだったけど、少し下ると雪が重い。

いい加減な乗り方で許されてたゲレンデ滑りの私は、エッジが引っかかって転びまくる。
転ぶと起き上がるのが大変だから転ばないようにと思えば、腰が引けてしまってまた転びまくる。
気が付くと参加者はみんな先に行き、私は最後尾でガイドさんと二人っきり。
弱気が顔を出すけど、転んでも立ち上がって自分の足で滑り降りないと帰れない。

なんでこんなトコで転ぶのよぉ〜ったくぅ!って自分に腹を立てても自分のせい。
マジに滑ってマジに追いつかないと、みんなにも悪いしと、焦り始める。
でもまた転ぶ。何回転んだか、きっと両手両足の指じゃ数え切れない。

後ろ気味に乗って滑らないとスピードが出ないし、スピードが出ると狭い木の間を抜けるのに激突しそうで恐いからスピードを緩めると止まってしまったりついでによろけて転んだり。
狭い木々の間で上り下りが細かくあるから、スピードをつけなきゃ止まっちゃったりジャンプしちゃったりで、とっても難しい。

転んで立ち上がるだけでもすごく体力を消耗するし、息が上がる。
呼吸は、全速力で走り続けたくらいハアハア言って、喉が張り付くほどに渇いてる。
心肺機能はフル活動。過酷な運動を必死に支えてる。
腕も足も力を使い果たし、疲れてガクガク震え始めてる。

優しいガイドさんは、私より10才年上の女性。
八甲田を誰よりも知り尽くしているらしい。
立ち上がれない私をストックで引っ張り上げ、道を誘導し、呼吸を整えるのをじっと待ってくれる。

踏ん張っても勢いつけても起き上がれないくらいに疲れてきて、(もうホテルには帰れないかも?ここにこのまま寝てしまいたい。)と思い始めた頃、「少し休みましょ。なにか飲んだら?」とガイドさんの優しい声。

リュックに入れてた、ペットボトル飲料の美味しいコト!
差し出された一粒のチョコレートの、幸せだったコト!!
「ほら、見て御覧なさい。綺麗な景色でしょ?」
そこで始めて目を上げて、辺りを見てみれば、あまりの景色のうつくしさに息を呑む。

冗談いう余裕も無くなり、必死の形相で足元ばっかり見てたから、景色なんて楽しむ余裕はまったくなかった。
これじゃちっともタノシクナイよね!?

なんとか下山できて、ホテルに戻って来られたときには、命の恩人・ガイドさんに後光が射して見えた。
感謝の言葉はいくら言っても足りないくらいに、有難かった。
ホテルの暖かさが身に沁みた。
放心状態で、腰を下ろしたイスから立てなくなった。

スノボーに始めて挑戦した日と同様、転びすぎで首が酷く痛んだ。
まだまだ未熟者でございました。
八甲田山、ごめんなさい。

翌日は緩んだ雪が冷えて固まって更に雪質が悪くなり、今期最悪のコンディションと言うガイドさんの話。
ゆうべ美味しい日本酒を飲みすぎて二日酔いのRさんと、首の筋肉痛でメゲた私は、ツアー参加を辞退して温泉に湯治に行く事にした。
レンタカーを運転して、近くの有名な酸ヶ湯というところに行ってみる。

300年の歴史と言う古い旅館のそのお風呂は、男女混浴。
混浴初体験の私とRさんは、おっかなびっくりでコレに挑戦する。

80坪と広い湯船は、遠くの人影が男か女かなんて全然見えないほどに湯煙が立ち込めてる。
どうせみんな同じ体の人間だしィ〜と、自然な気持ちで湯に浸かる。
見知らぬおばちゃんたちと、ぺちゃくちゃしゃべって楽しい湯治。

タマゴみたいな変な匂いだったねとRさん。
初めての混浴体験に、眼鏡を外して入ったのが敗因だったとの感想。

夕方、ツアーを終えた他のメンバーと、今度はみちのく温泉というすんごい温泉にも浸かりに行く。
普通の民家みたいな家に、昔話のようなおじいさんとおばあさんが居て、傾いた暗い廊下の突き当たりのお風呂をいただく。
子供の頃の、懐かしいおじいちゃんちの匂いがした。

雪の露天風呂は、すだれを挟んでの混浴風呂。
今度は湯煙無しなので、「こっちに来ればぁ〜?」「え〜ダメよぉ〜ン」なんて話が弾む。
これもとっても良いお風呂でした。
おじいさんの話は英語よりも難しくて、適当な笑顔で相槌を打つ会話になっちゃうンだけど。

温泉湯治のおかげで翌日はやる気復活、でも雪質はやはりダメで雨模様。
最初に滑ったスキーコースを1本、ゆっくり景色を楽しみながら滑ってみることにする。

普通のスキー場のように、音楽もなければ放送もない。
リフトが通っているコースでもないから、自分の出す音以外は、まったく何も聞こえない。
静かに広がる雪の山には、確かに神様が住んでいると感じた。
「未熟者がお邪魔してます。どうか怪我無く遊ばせてください。」と手を合わせ、祈った。

空気は清らかに澄み、水はすこぶる美味しく、植物や動物を育んでいる。
たまたま人間が踏み込んでいるけれど、驕っちゃいけない神の山。
森にはきっと妖精が隠れてる。

この山に惚れて集まる人たちの、邪気の無さには驚かされる。
細胞の一つ一つまでが、洗い清められるような場所だ。
また一つ、居心地の良い場所を知ってしまった。